〜火除地として〜
今からさかのぼることおよそ400年前。マエダ家(加賀藩前田家)が治めていたカナザワ国(金沢)は、繁栄を謳歌していた。ところが1631年と1635年の二度の大火で、カナザワ城(金沢城)下の大部分が焼失。いずれも城の南にあるサイガワ(犀川)大橋付近からの出火で、火は南風にあおられ北上、建物から建物へと燃え移り、城まで到達した。
そこで当時のマエダ家当主トシツネ(加賀藩3代藩主前田利常)は、サイガワ大橋と城の中間にあたる地区を火除地(ひよけち)として整備。ここにあったサムライ(藩士)の邸宅を移転させ、空き地にすることで延焼を食い止めることにした。この空き地に柿の木を植えたことから「カキノキバタケ」と呼ばれるようになったのだ。
なぜ柿の木を植えたのか?「トシツネが大の柿好きだったから」との説もあるが、伝説の歌人・カキノモトノヒトマロ(柿本人麻呂)にちなむとされる。すなわち「かきのもとの(柿の下に)ひとまろ(火止まる)」。柿の木には火除けの御利益があると信じられていたのだ。