~イシンから今まで~
1868年のイシン(明治維新)は、カナザワ国(金沢)を大きく変えた。それまで大きな力を持っていたサムライ(藩士)は没落し、人口も激減。カナザワ城(金沢城)は城主が去り、まちの景気はみるみる沈んでいった。
そんな中、1871年にカキノキバタケはカミ(上)とシモ(下)に分けられ、この区分は100年あまり続くことになる。この頃からカナザワ城には軍隊が置かれ、カナザワ国は「軍都」と呼ばれるようになった。カキノキバタケも軍の門前町として栄えたことは想像に難くない。
1887年にシコウ(第四高等学校。金沢大学の前身)が開学すると、カナザワ国は「学都」としての性格も帯びてくる。飲食店がひしめくカキノキバタケは、シコウの学生の溜まり場となった。
こうして「食のまち」としての素地が形成され、現在まで続いている。2004年にニジュウイチビ(金沢21世紀美術館)が開館すると、異国の人も多く訪れるようになり、「国際色豊かなまち」としての顔も持つようになった。