~偉人たち~
400年の歴史を持つカキノキバタケは、ゆかりの偉人も多く輩出している。
●膨大な歴史本を編纂 森田柿園(もりたしえん、1823~1908)
マエダ家(加賀藩前田家)に関する膨大な記録を91種も編纂・著述し、後世の研究に多大な影響を与えた。特に金沢城をはじめ城下の由来・沿革、関係事項をもらさず記載した『金沢古蹟志(こせきし)』は、研究者座右の書である。
●北陸の鉱山王 横山隆平(よこやまたかひら、1844~1903)
マエダ家の重臣の一人。叔父の横山隆興(たかおき)とともにオゴヤ(尾小屋)鉱山を掘削し、巨万の富を築く。余財は公共事業に投じたといわれる。
●近代産業を興した 長谷川準也(はせがわじゅんや、1843~1907)
第2代金沢市長。ハイハンチケン(廃藩置県)で失業した元サムライ(士族)を救うため、製糸や撚糸などいくつかの会社を興し、彼らの受け皿とした。オヤマ(尾山)神社の神門を建てたことでも知られる。
ほかにも地理書『皇国地誌』を編纂した田中正義(たなかまさよし、1816~1895)、数学者の田中鈇吉(たなかおのきち、1861~1945)、女流俳人の中川富女(なかがわとみじょ、1879~不明)などがいる。彼らの功績をたどれば、カキノキバタケの懐の深さがわかるだろう。